おやじの第15回アジア選手権日記
2003.9.16-24 マニラ@フィリピン
こりゃあ、暑かった!!

●9月16日(火)成田集合
 今日はアジア選手権の成田前泊で、18:00集合です。
午前中は、練習。静岡の国体合宿で跳んでくるはずだった池田が、「うまく跳べなかった」というので、池田は跳躍練習。2人がイメージしているジャンプがなかなかできずに、結構な本数を跳びました。
13:00から川本教務委員長が招集している会議がひとつ。今日中に結論が必要です。で、結論は出たのですが、次の教授会に審議事項で!という意見が大勢でした。困ったことに川本の帰国は24日で教授会の日。とりあえず学部長と相談しようと思ったら、学部長も会議。副委員長もその日は、都合が悪いというので、その日の報告担当の教務委員の先生を呼んで、内容を伝えました。研究室に戻り、何度が学部長に連絡を取ったのですが、留守。困った!!
 成田集合は18:00。とても間に合いません。茂木が、新幹線の時間を調べてくれます。「先生、17:45に乗れないと成田EXの最終に乗れませんよ!!」しかし、川本の机の上はやるべき仕事がまだ、まだあります。やっと終わったのが、17:00。ピンチ!!
奥さんに電話を入れたら、自宅でスタンバイしていてくれました。すぐに帰って、車を降りたら、県陸協・強化部マネージャーの菊地先生がグランドのフェンスを飛び越えて・・・・そう、川本の自宅はS女子高校のグランドの脇にあります。時計は気になったのですが、菊地もフェンスを飛び越えてきていますから、大切な話。で、トランクを持って、奥さんの愛車に飛び乗りました。
 予定の17:45に奇跡的の乗れて、成田へ。学部長へは連絡が付きません。通常は16時くらいには終了する会議だそうですが、終わりません。で、「報告は今度の教授会で!」と言われたときのために、車中では、ビールも飲まず、報告内容の原稿作りを。いざとなったら、担当の教務委員の先生にその原稿を読んでいただこうと・・・・・東京駅について、本屋に寄ったところで、学部長から電話。「しかたないですね。川本先生のいるときに審議事項としてかけてください」とありがたい答え!!安心して、弁当とビールを買って、成田EXへ。
 ホテル到着が21:15。ミズノのT力さんが「ミーティングをやっています」とロビーまで知らせてくれました。部屋にスーツケースを置いて、早速ミーティング?へ。


●9月17日(水) マニラ到着
 起床は6:00。6:30までにスーツケースをロビーへ。その前にシャワー。7:00から食事。こんな感じの食事はちょっと食べ納めでしょう。味わって、日本最後の食事を!!
8:10ホテルを出て、フライトは9:45。マネージャーに留守中の練習計画を電話して(昨日中にメモを残していく!なんて言っていたのですが、全然余裕なし)、搭乗。マニラまで、結構、あっと言うまでした。
 空港からバスでホテルへ。渋滞のため1時間ほどかかりました。途中、バスが白バイに止められたり、床が熱くなったりとトラブルはありましたが・・・・マニラは、どこも渋滞です。ホテルは、まあ、まあかな。今回もバスタブはありませんでした。

 

早速着替えて、グランドに練習。すぐ近くらしいのですが、ここも渋滞で、 30分ほどかかりました。ジョックで10分くらいらしいのですが・・・・・
グランドは、お世辞にも立派とは言い難いところです。サーフェスは、チップですが、築10年といったところでしょうか(実際は17年でした)。もとチップで、現在はノンチップ。地方の張り替えていないグランドにありがちなサーフェスです。福島大学の古いタータンの方が立派ですね。でも、そんなことは言っていられません。ラインをきれいに引き直していました。サブは、バックスタンドの裏というので、見に行くと、工事中。4レーンほどの広さで、80くらいの直線だけ。大丈夫かな?練習は2時間ほどで、終了。

 

ホテルは、前回スリランカのアジア選手権で、同室だった麻場先生(都留文化大)と今回も同室です。麻場先生は川本の大学の後輩(4年、1年)なので楽ですが、麻場先生はどうでしょう?
 食事は、まあ、まあ食べられます。選手たちにもくれぐれも水、生ものは厳禁!!を伝えて、とりあえず、おごちそうさま。


●9月18日(木) 大会2日前
 朝、6:40から散歩です。目覚ましは、時間通りに鳴ったのですが・・・・
ロビーの時計は、5:40?時差をすっかり忘れていました。目覚ましの時間をフィリピン時間にするのを忘れて、こちらの5時過ぎ起きてしまいました。そのまま部屋へ戻り、もう一度ちょっとだけ寝ました。間抜けなスタートです。
午前中、練習です。日本チームは9−11時。昨日の帰りは渋滞で1時間ほどかかりました。で、出発は8時。ところが、急遽、ライン引きのため、グランド使用変更。30分ほど離れた別のグランドへ。といっても、マニラは渋滞天国?結局1時間かかりました。

橋の左右は、こんな家もあり、ちょっとショックでした。

 
グランド後ろは高級マンション?

 練習終了間際にスコールの洗礼。鈴木は最後の100mが走れませんでした。帰りも1時間かけて帰り、昼食は・・・・・ん?昨夜とほぼ同じメニュー?この先大丈夫でしょうか?


●9月19日(金) 大会前日
 午前中は、アジア陸連のコーチングセミナーに後輩の伊藤先生(横国大)と参加。トレーニング負荷と回復の関係について解説がありました。内容は、川本の授業内容くらい?でも、多彩なたとえ話がないぶんだけ、ちょっとブー。

 

帰りは伊藤先生と街中を通って、ホテルへ。途中は、渋滞。

 
この乗り合いバスは1ペソ(10円くらい)です。


交通ルールはあって、ないような・・・・・

14:00から練習。
スタジアムまでは、歩いて20分くらいですが、渋滞のためにバスでも20分。
でも、今日は道が空いていて、5分で着きました。

グランドはこんな状態。砂場には草が・・・ 

 
バスに乗り遅れた坂水もリラックス


 大会前日と合って、開会式の準備も急ピッチ。

 
いきなり兵隊さんたちがマカレナ(っていうんでしたっけ?)を踊り出して、会場は大受け!!。

 大会後半の第2陣も到着して、全体ミーティング。明日から競技ですが、夕方にスタートリストが届いていません(結局、0時過ぎに届くことになります)。明日は、100と400。マイルの予選がありますが、これは、エントリーが7チームなので、予選なしで、最終日に決勝がありそうです。エントリーの関係で、100は予選、準決、決勝、400は予選、決勝が予想されますが、それがいつ、どのタイミングであるかわかりません。予定では、100は、明日、1次予選、2次予選、明後日、準決、決勝です。ですから、どれがキャンセルになるか、問題です。400も1日1本で、予選、準決、決勝が3日間に配列されていますが、予選、決勝となるとどこで走るか分かりません。決勝が動かない!ことだけははっきりしています。問題は、どこから始まり、どれがキャンセルになるかです。
 昨年スリランカのアジア選手権では、男子400で夜中の1時に明日の朝、キャンセルになったはずの第1次予選がやっぱりある!と連絡が来て、あわてた覚えがあります。それがアジア選手権!と言ってしまえばそれまでですが、選手にはできるだけいい状態で試合をして欲しいのですが・・・・・難しいところです。まあ、情報だけは、明確に的確にしてあげたいものです。
 で、結局、わからずに、選手には、1次予選から走るつもりで準備するように伝えて、休みました。


●9月20日(土)大会1日目
 エントリーに関して、スタートリストは、ゲット。しかし、ホテルでは、タイムテーブルに関してなにも情報がつかめないまま、グランドへ。今日も5分で到着。宮川ヘッドコーチが、大会本部に確認してくれて、1次予選があって、途中の予選や準決勝がなくなることを確認。ホテルにいる麻場先生に電話を入れ、これで安心して練習。女子100は3組だけど、準決、決勝の3ラウンド、400は3組で予選、決勝の2ラウンド。ちょっと変則ですが、本部がそういうから、そうでしょう。400は今日予選、1日空いて明後日、決勝となります。
 マイルだけに出場する坂水は、今日は刺激。350をつかいました。タイムは47秒2とまずまずの出来。久保倉の400Hもいい感じで、3台目までをチェック。やっと楽に16歩で走れるようになりました。

 一旦、お昼にホテルに戻り、ランチ。2時過ぎに100の坂上、石田とグランドへ。知らずにグランドに入っていったら、開会式の真っ最中。

 
木陰にチームテントを設営。直射日光は避けられます。

 

えっ?!ここは?そうサブグランドです。やや左下がりです。ここにひしめき合います。全然気にせずに歩くコーチ。ジョッグ、流しは、逆走ありの何でもありです。ダッシュは命がけ。
 木田の400予選は、無難に走って54秒71で通過。1600Rの予選はキャンセルされました。男子の1600R予選が21時40からでした。ホテルへ帰ったのは23時。寝たのは1時過ぎかな?


●9月21日(日)大会2日目
 朝は5:40に散歩。ちょっと暗い。ホテルから5分ほどでマニラ湾。今日は、クリーンアップ行事をやっていました。
 久保倉の400H予選は10:05スタート。ホテルを7:00に出て、予選に備えます。

 
予選は58秒8で通過。午後の試合は16時からすぐに帰ります。

帰りは、乗り合いジープで、料金は4ペソ(10円)。降りるときは、天井をたたいて、運転手に知らせます。

 
13時の空には入道雲が!!木田の400決勝は17:40。

 

レース展開は、他の選手が飛ばす中、きっちりレースペースを守ったのですが、直線に入ったところで、離されすぎて、ラストが走れませんでした。300までは、木田らしい走りでタイムもよかったのですが、残念です。
女子400R予選はキャンセルでしたが、男子は20:50なが〜い1日でした。


●9月22日(月)大会3日目
 午前中、9:20に200予選。ホテルは6:30出発。鈴木がいい感じで通過。ホテルに戻り、1時間ほど休養。13時から、明日のリレー組の練習。16時から安田先生の棒高跳を見学。夕方からの試合は女子短距離がなかったので、ずっと棒高跳。勉強になりました。


●9月23日(火)大会4日目
 午前中、木田、坂水とグランドへ。軽めのジョッグ体操を。そこで、フィリピン水泳ナショナルチームのコーチの方と話をしました。日本から派遣されて、今は、フィリピン政府と契約しているとのこと。「プロコーチですね?」と尋ねると「まあ、結果的にはそうですね・・・」と笑っていらっしゃいました。ここでフィリピンのスポーツ事情を少々。
 グランドの周りには、スタンドの下を利用して、人が住んでいます。これは、各競技団体の寮みたいなもので、田舎からマニラに出てきた人たちが利用しています。食事も近くの食堂でとっていました。これは、競技団体(政府)持ちです。この選手たちはAからCまでのランクがあり、それにともなって月々の強化費が支払われます。
 A:12000ペソ、B:9000ペソ、C:6000ペソです。サラリーマンの「いい給料」が10000から12000ペソらしいので、Aランクは「いい強化費」ですね。きれいな服を着ている仕事をするデパートのお姉さんたちが5000から6000ペソです。非常にいい強化費ですよね。このランクは、東南アジア大会の結果で決まります。フィリピンにとって、アジア大会やオリンピックは勝負にならなくて、「参加することに意義がある」大会となっていますが、11カ国で競われる「東南アジア大会」は、手頃な大会だそうです。この大会でのメダル獲得数にみんなで一喜一憂すると言っていました。ですから、東南アジア大会の金メダルでランクA、銀・銅メダルでランクB、若手の有望選手がランクCとなります。
 また、報奨金制度もちゃんとしていて、東南アジア大会の金メダルは、10万ペソ!!。1年くらいは遊んで(働かないで)暮らせる金額です。このコーチは、フィリピンに来る前は、ミャンマーで同様のコーチをしていたとおっしゃってましたが、同じような報奨金があると説明してくれました。スポーツで食べていけるので、選手生命が長いとも・・・・


バックには、東南アジア大会へのカウントダウンが

 競技者も生活がかかっているだけに、コーチとともに一生懸命やっている!とのこと。ただし、スポーツが出来るのは、裕福な階層と、スポーツで一発!!という階層に分かれるそうです。コーチの水泳はみんな裕福層なので、ハングリーに欠けると嘆いていました。逆に飛び込みなどは、田舎を回って、断崖から飛び込んで遊んでいる子供たちから才能のありそうな人材をピックアップしてくるので、みんなハングリー。高校生などは、マニラに来ても学校に通わせてもらっています。ただ、彼らは、田舎の家族のために強化費の90%を仕送りしています。そのため、コーチに「帰れ!!」といわれたらおしまいなので、必死に練習すると説明してくれました。
 スポーツを散り巻く状況というのは、各国様々です。プロとアマチュアのスポーツに対する考え方は、まったく違います。実績がお金を生むプロと実績が自己実現のアマチュアでは、全然違ってきますね。プロでも、お金だけではなく、自己実現も当然ありますが、難しいところ。

 久保倉の400H決勝。数日前からエアコンに当たりすぎて、下り気味。やっと上り調子?「相部屋で下っているときは、本当に嫌でした」久保倉談「相手に不快感を与えてはいけないと思って・・・・・」と乙女の恥じらい
で、走りは、いい感じで前半つっこんでいきました。6台目から7台目で・・・(まあ、これ以降は企業秘密)、しかし、実際は、7台目以降の切り替えが出来ずに沈没。58秒36で、学生記録の更新はならず。走れていただけに残念ですね。まあ、下っていたことを考えると上出来ですかね。
 不注意ではないのですが、海外では、やはり細心の注意が必要。水が怖いので、歯磨きはミネラルウォーターを使っています(でも川本は水道水!)。カットフルーツも摂りません。氷はもってのほか。油ものも、油が古くないか注意しながら食べます。海外では、いくら注意しても注意しすぎることはありません。今回は、「フィリピンバナナ」が最高でした。香りと味が濃いというか芳醇というか、本当においしくいただきました。
 フィリピンは、エアコンを効かせることが、最高のもてなしになるそうです。ですから、バスなどもガンガン冷えています。最初は、もう少し、設定温度を上げて!などどと思っていたのですが、「最高のもてなし」をされていたんですね。そういうわけで、ホテルのエアコンもガンガン冷えて、ツインのエアコン側の人が、冷えすぎ病になったみたいです。

 女子短距離は、400Rと1600Rの決勝。世界選手権で、「負けた!!」と痛感して帰ってきた400Rチームは、臥薪嘗胆、捲土重来(には、期間が短いか?)。まあ、それくらいの意気込みで、臨みました。膝の調子が今ひとつだった、新井は100をやめて(石田が代わりに走りました)、リレーに照準を合わせてくれました。食事もほとんど日本からの持ち込みで、体調維持を図りながら、結構万全の大勢です。1時間前に200を走った鈴木でしたが、シーズンベストの24秒03が出たこともあり、疲労も何のその!で気分よく走りました。しかし、結果は44秒56(2位)で、海外のベストレコードとタイ記録でした。これは、97年アテネの世界選手権で走ったタイムです。新井、坂上は、「進歩がありませんね」と残念がっていました。確実に力は上がっているのですが、今ひとつ記録が向上していきません。もう一がんばりするときっと、43秒台がコンスタントなチームになると思います。乞うご期待。
 マイルチームは、1走を予定していた、久保倉の疲れを考えて、坂水を1走に起用。

 
(猫もストレッチ)

しかし、これが裏目に出て、坂水が力を出し切れないまま、2走木田に。先頭グループと離れてしまい、レースになりませんでした。3分38秒08(5位)に沈みました。若さが、空回りしたレースでした。もう少し、経験を積ませて、どこでも力が発揮できるような、心を叩き込みたいと思います。


いつも混んでいるアップ場


テントの裏では、Tシャツのプリント!


●9月24日(水)帰国
 朝は6:20ロビー集合。おやじたちの起床は、5:50。速攻で、着替えてロビーへ。荷物をバスに積み込み・・・・のはずが、荷物が多くて、人が乗れません。我々、スタッフは、ランクル風のジープに詰め込まれました。前列は運転手を含めて3人。ミズノのT力さん(元ハンマー投げの巨体です)も乗っているので、真ん中のKBコーチは、シフトレバーをまたぐ形で乗っていました。隣がT力さんなので、エアバックの心配はないのですが、大変。
後部座席は、我々3人で、常識的な乗車。後ろの荷台に4人のトレーナーさんとスタッフが積み込まれました。合計10名を乗せて、ランクルは飛行場を目指します。
飛行場に到着後、別のワゴンからスーツケースなどの荷物を下ろします。これでもか、これでもかとどんどん出てきます。で、一緒に出たバスがなかなか到着しません。
すると、今回の案内係のリックさんが、坂を走って来るではありませんか。出発ロビーは2階なので、結構な上り坂(300mは楽にあります)です。
「バスがエンジントラブルで、坂を上れない!!」ポールやスーツケース、トレーナーベッドなどを持って、この坂を上るの?と心配していたら、バスがヨロヨロ?と坂を上がってきました。
手押しを覚悟した我々コーチ陣は、思わず拍手。最後まで、バスには苦しめられました。
 無事成田に到着。今日は、学生と焼き肉でも食べて、帰ります。

おしまい