2005年2月の日記

●2月1日(日)

午前中、練習。
少し肌寒かったのですが、技術練習をしました。

午後は、決算書完成!

夜は、申請書書き。
研究費獲得のためには必要な事です。
この研究費獲得の話しは、研究課のみなさんが持ちかけてくれました。
有り難い話しですね。
申請書は、予算の積み上げなど面倒な作業があるのですが、これを研究課の職員さんがやってくれます。
大学にも間接経費が入るとは言え、信じられないくらい嬉しいことです。


●2月2日(月)

10時に陸上競技場改修の打合せ。
トラックのサーフェスは、次の検定には、持ちそうですが、その次には完全にアウトです。
ここは、次回の検定に間に合うようにオーバーレイですね。

3コマ 健康運動科学実習・ゴルフ。
最後のまとめでした。

4コマ ウエイトトレーニング
最後の授業。みんなしっかり挙げました。

夜は、申請書書き。


●2月3日(火)

午前中、二瓶先生に県陸協監査の説明。
週末ですが、川本が不在なので、二瓶先生に託すことに・・・・

3コマ 健康運動科学実習・バドミントン。
最後は実技テスト。
それと一緒に微小血管観察。
学生さんの毛細血管は、×ばかり。
食事や生活が乱れると体も乱れます。これは先週講義をしたので、みんな真剣でした。

4コマ 体力トレーニング。
最後は、それぞれの質問に答えて。
学生達は知識不足でトレーニングをしているのが、よくわかりました。
勉強は必要!!!

夕方、学生面談。
ちょっと終わりそうになかったので、菊田先生にバトンタッチ。
さすが小学校の先生、上手に学生の話を聞き出してくれました。

6コマ 現代教養コース:スポーツ競技の世界
今日は、メーカーさんの頑張りがテーマ。
ある意味で、裏側の話しです。
終わって、菊田先生と話して、21:45 研究室を出ました。


●2月4日(水)

今日から定期試験
共通教育運営委員の川本は、午前中、研究室待機。
担当の先生の不慮の出来事に備える係です。
朝結構早く出たのですが・・・・道都が渋滞。
裏道を通って、8:25に研究室到着
試験開始の10分前には研究室待機がルールです。1コマは8:40開始なので、ギリギリセーフ。
すると・・・電話。
道路が混んでいて、非常勤の先生の到着が遅れそう!との連絡。
ここは、委員の登場ですね。
教務課に直行・・・・でしたが、担当の先生も間に合い、何もなくてすみました。

今日はずっと申請書。
13:30からの練習は二瓶先生に任せて、申請書。
夜遅く終わりました。


●2月5日(木)

朝の内に保健管理センター、教務課、人間発達文化学類支援係の仕事を終えて、
研究課の2人と申請書の打合せ。
本当に感謝です。この申請書が通ると、みんなの頑張りが報われて、いいな!
これで、午前中、終了。

12:45に研究室を出て、二本松・塩沢公民館に。
川本元気塾の一環の健康教室。
往年のお姉さん達に個別指導。今日は1時間ほどで終わらせていただきました。
慌てて自宅に戻り、15:16の新幹線で東京に。
羽田空港で、打合せが1件。

20:00の飛行機で新宮と沖縄に。
那覇空港到着は22:50。寒くない!当たり前か!?
ホテル到着は、24時ちょっと前。とりあえず、寝ます。


●2月6日(金)

今日は妹、美砂の誕生日です。
歳を取るのは嬉しくないでしょうが・・・・誕生日は嬉しいはず!

沖縄は日本の西にあるので、日の出が遅い!そのため朝練は、少し遅め。
7:10集合です。
寒波が来ているせいか、少し寒いですね。

午前、午後としっかり練習。
午後から読売新聞の取材。担当は陸上でよく取材されたK藤さんです。
今回は、震災から4年!という企画モノ。
お約束ではありますが、ちゃんと伝えていくことは大切。
キッズ塾、ジュニア塾を軸に話しは進みました。

夜は、K藤記者と陸上の話し。
マラソン界の低迷について話題が出て、やっぱり東京オリンピックのマラソンで好成績を残すには、男子は日本得意の「箱根」
茅ヶ崎スタートで箱根フィニッシュのコースしかない!という結論。
これなら勝機あり!ですが・・・高低差などのルールがあるんでしょうね。

女子は是非、福島・・・いわきでやるっていう案が浮上。
折返しは原発が遠くに見えるあたりまで行けたらいいですね。
原発の南側(いわき方面)は線量は低いのが、その頃には、原発周辺も大丈夫なようになって欲しいですね。


●2月7日(土)

午前中、練習しっかり。
午後、練習しっかり。

夜は、具志堅さんと懇親会。


●2月8日(日)

今日は、OLチームはお休み。
新宮と記野の練習。
数人に監督・コーチ・トレーナーがついて・・・・本格的な実業団ですね。

午後、気になっていた新宮の走りを改善。
気がつけば、水も飲まず、休息もせず、2時間30分。


●2月9日(月)

朝、散歩がてら「中部農連市場」に。
歩いて15分くらいでした。
昔、時々遊びに(飲みに)行った金城さんが、「市場で青果店をやっている」と言っていたので、
もしかして・・・・と思い、市場の中を見渡すと・・・「金城青果店」が!
ただ、金城は沖縄ではどこにもある名字。
恐る恐る、店内を覗いてみると・・・見慣れた奥さんの姿がありました。
久々の再会なので、懐かしさ一杯でした。

午前中、練習。
川本は、19:00から二本松市川本元気塾があるので、11:30にグランドを後にして、空港に。
フライトは12:45羽田便です。
14:15の仙台便だと、乗り継ぎが悪く福島到着は、18:40くらいなので、アウト。
羽田便だと、福島到着はうまくいくと、17:30遅くても18:05。
飛行機に乗りウトウトして、外を眺めると滑走路。
またウトウトして、外を眺めると滑走路。
時計を見たら13:45!!
んっ!?1時間以上も滑走路?
そうこうしているうちに機長さんのアナウンス。その前のアナウンスは寝ていたので、きいていませんが・・・・
「右側から異音がしているので、待機中です」
「整備士に確認してもらうため、一旦駐機場に戻ります。皆さまの安全を最優先する全日空です」
イオンリターン?
まあ、飛行中に「異音がします」では、シャレになりませんからね。
でも・・・整備不良では?
まあ、いいか。
結局、飛行機を乗り換えることに。
CAさんたちは、献身的な対応です。「お客様のため」という感じがよく出ていました。
それよりも・・・今日の二本松です。
どう頑張っても20時過ぎにしか福島に帰れません。やっぱり、ダメですね。
二本松に電話を入れて、中止をお願いしました。
飛行機が飛び立ったのは、2時間遅れの15:10くらいでした。
飛び立って、機長さんから「管制塔に連絡して、最短時間で行ける高度、コースを選びます」
頑張ってくれていますね。
今日は、講演もなくなり、車も運転しなくてよくなったので、飲みましょう。
関係の皆さんにはご迷惑をおかけしましたが・・・・飛ばないものは、どうしようもない!安全第一。
何とかしろ!と怒鳴っている人もいましたが・・・・


●2月10日(火)

朝から実験データ整理。
いい結果が出ました。詳細は企業秘密。

夜、ユニオンメンバーと食事。


●2月11日(水)

午前中、練習。
風は冷たかったのですが、晴天だったので、技術練習を。
試験期間中なので、12時前に終わりました。
試験がない学生は・・・居残り練習を。

研究室に戻り、メールを見ると・・・・研究協力課のK谷さんが「企画提案書」の完成を待っている!
えっ!!川本は、土曜日に沖縄から送ったはずですが・・・
でも、完成していない?
昨日は、終わった〜って感じで、別のこと(データ整理)をやったのですが・・・・
慌てて、研究協力課に電話を入れると、休日なのにK谷さんとO野さんがいました。
頑張ってくれていました。
とりあえず、打合せを!ということで、研究室で1時間ほど作戦会議。
でも、ありがたいですよね。
前にも書いたと思いますが、外部資金を獲得しても、大学には間接経費として10%程度しか入らないんですが、そのために一生懸命にサポートしてくれるって、頭が下がります。
ここは、大学のため?・自分の研究のため!頑張りましょう。
O野さんは、前は、財務課にいたので、研究費の積算などはお手のもの!素晴らしい!
今回のテーマは、消耗品が多いので、積算などは面倒で大変です←川本は苦手です。

「企画提案書」の川本のところは、土曜に作成してあるので、少しの手直しで大丈夫。
15時には送れました。
16:30に最終打合せ。 →その後、完成は19時過ぎでした。感謝

川本はラジオ福島に。
朝から全開!の収録。
今日は、ネタを考えていなかったので・・・・来週の火曜日分だけ録音して、終了。
次回の収録まで、ネタを考えておきましょう。


●2月12日(木)

朝イチは、東邦銀行。
8:40から打合せを30分ほど。

終わって、小野町に。27日にわくわくジュニアカレッジをやるので、体育館の下見です。
小野町へは高速で1時間。
小野町の体育館は、びっくりするくらい立派。
充分やれますね。

終わって、大学に戻り、12時過ぎから共同通信の取材。
取材の途中でしたが・・・・

13:00 院生山内の口頭試問。
制限時間内だったので、1時間ほどかかりました。
おっと、14:00 からは面接がひとつ。
これは30分。
終わって、共同通信の取材の続き。

15:00 判定会議。
その後、入試打合せ。
17時前に研究室に戻れました。
そこから、研究室の卒論・修論発表の最終チェック。
90分ほどかかりました。

今日は19時前から自分の仕事が出来ました。
監修本の校正です。


●2月13日(金)

朝から卒論発表会でした。
研究室の学生達は、しっかりできたと思います。

15時過ぎに終わって、そのまま判定会議。
その後、次年度のカリキュラムの打合せ。

16:00くらいから蓮沼くんの口頭試問。
終わって、仕事。面談がひとつ。
18時ちょっと遅れて、研究室の飲み会。お疲れ様でした。


●2月14日(土)

雪でした。
車で、仙台空港へ。途中、事故渋滞。
フライト時刻は9:30。
空港に着いたのが・・・9:30。残念 ><
今日は北海道大学のシンポジウム「スポーツ選手に筋力トレーニングは必要なのか? 」のシンポジストのひとりでした。
最初に受けたときに「前日入りは不可能です。当日、天候不良で飛行機がダメなら諦めてもらう!でいいですか」とは言っていましたが・・・何とかしなければ!

とにかくカウンターに並ぼう
9:55のフライトがあったのですが・・・満席。プロペラ機で小型です。
1名だけキャンセル待ちで乗っていきました。
それを横目で見ながら、とにかく札幌へ!と言う気持ちでANAのお姉さんに相談。
これまでの経験から「困っているので、お姉さんの力を貸して!」という感じでお願いするのがベストな方法と分かっています。
今日も、お姉さん!何とかして!と下手に懇願。
とりあえず、16:10のフライトがあるので、それを予約してくれました。
当然、16:10の便はアウトです。
シンポジウムは13:30開始。終了は17:00。
次の便は12:15。千歳到着は13:30。これならシンポジストの講演を最後にしてもらうと間に合いそうですね。
キャンセル待ちは3番目。
何とかなりそう?
ラウンジに行き、とりあえず今日のスライド作成。
泥縄教授です。
11時過ぎに「12:15の札幌便は、機材繰りが出来ないので欠航になりました」と、絶望的なアナウンス。
やっぱりダメでしたね。
あきらめが肝心。
関係者の皆さん、ごめんなさい。
カウンターに並んで、キャンセルを。
キャンセル料を取られなかったので、不思議に思い、訊ねると・・・欠航に伴う払い戻しとのこと。
「9:30の便は千歳空港に着陸できず、仙台に引き返しています」
その後の調べで、9:55も仙台に引き返し。
14:40・16:10も欠航!
大阪に飛んで、札幌という手も考えたのですが・・・千歳空港がダメだったのですね。

まあ、天候には勝てませんから・・・・仕方ないですね。
明日は、南陽市(豪雪地方の米沢のとなり)でランニング教室ですが・・・・大丈夫かね?

12時ちょっと前に仙台空港を出て、大学に戻り、仕事。
月曜日からスキー実習ですが・・・・スキー板が見つかりません。
前の研究室には置いていたのですが・・・引っ越しでどこに行ったんだろう?
今回はレンタルすることにしましょう。

そう言えば・・・・昨年の大雪パニックは2月15日(土)からでしたね。


●2月15日(日)

午前中、練習。
12時ちょい前まで見て、福島駅に。

今日は時間的に余裕があったので、お弁当を。
「新宿さぼてん」で「ロースカツ丼」を購入しようと思って、列に並びました。
前のお客さんは「ロースカツ丼4つ」
川本が「ロースカツ丼1つ」
次のお客さんも「ロースカツ丼1つ」・・・大人気です。

カツ丼を食べながら、山形新幹線で赤湯へ。
10分も走ると新幹線は山の中に。一面の銀世界でした。
山形の県境あたりは「うそだろう!!」と言うくらいの積雪。
これは、一度眺めた方がいいですよ。是非、観光に。
米沢は、一階の屋根に届くくらいの積雪。もうビックリ。

赤湯到着。やっぱり雪がたっぷり。
今日は、赤湯で小学生向けのランニング教室。
充実感いっぱいでした。

帰りは、「とれいゆつばさ」
座席は快適でした。

JRのHPによると、お座敷指定席や足湯の車両があるみたいです。
が、川本が座ったのは、当たり前ですが、普通の席でした。

福島駅近くになると・・・何だか様子が変。
何がおかしい?と思っていると、福島駅が近づいてきました。
でも・・・何だか変。
そうだ!高架を走っていない!
新幹線ホームではなく、在来線のホームに入っていきました。
新幹線だとばっかり思っていたら・・・・貴重な体験でした。


●2月16日(月)

今日は、非常勤先の福島県立医科大学のスキー実習。
昨年は大雪で、中止になりました。
130名の学生を連れて、蔵王温泉に。
宿泊はいつもお世話になっているアストリアホテル。

午後から講習です。
川本は4班担当。目標はなんちゃってパラレルの完成です。
川本は2年ぶりのスキー。
天候も良かったので、みんな上達しました。
(川本も上達しました)


●2月17日(火)

スキー実習。2日目。
今日もいい天候だったので、みんなビックリするくらい上手になりました。
スキー板のチカラですね。


●2月18日(水)

スキー実習 3日目。
朝から雪。
ここは、曇り止めを購入しして、万全を期しましょう。
今日の目的は、蔵王スキー場・全山制覇です。
ただ・・・・曇り止めが全然効かない ><
逆にメガネが曇ります。
ゴーグルは、曇り止めが効いているのですが・・・・メガネに効かない><
レンズの種類なんでしょうか?
ゴーグルをつけると、アウト。
仕方ないので、ゴーグルを外して滑ることに。
雪も降っているので・・・・大変でした。


●2月19日(木)

スキー実習 4日目。
実習は午前中で終了。無事に終わって、ホッとしました。

16:30大学に帰ってきました。
30分ほどして、大学院生の口頭試問。
杉浦先生と安田先生に審査してもらいました。
これで、川本担当の院生の試験は終わり。

メールの仕事をこなして、20時過ぎに帰りました。


●2月20日(金)

朝から報告書作成と成績処理。
どちらも今日まで。
今日も又泥縄教授です。

10:00 二本松市と来年度の事業の打合せを1時間ほど。

午後は、いろんな作業を同時並行で。
実験のデータもみなくては・・・・
17時からラジオ収録でしたが、これは月曜日に変更してもらいました。

今日は、川本の帰りを待ってました!とばかりにメールが来ます。
頑張って、対応。

最後は、同級生にお願いの電話。今日はおしまいにしましょう。


●2月21日(土)

午前中、練習。

午後、3月の報告会の資料作成。
これがなかなか進まない><
でも・・・地域貢献の話しなので、頑張ります。

夜、トラッククラブの新旧役員さん達と懇親会。
親の希望、子どもの夢・・・みんな叶えたいですね。


●2月22日(日)

9:30 練習
ちょとだけ顔を出して、県陸協の理事会に。
川本は普及部長なので、普及関係の報告などを・・・・
終わりを待たずに、大学に戻り、着替えて、二瓶先生と田村市の陸上競技場に。
常葉中学校の陸上教室。
控え室から出て行くところで、ひとりの先生が二瓶先生に
「先生、憶えていますか?桜小学校で担任をしてもらいました・・・・」
何と!二瓶先生が教員2年の時の教え子。
すぐに「途中から転校してきた●●君だよね!?」と二瓶先生。
もうびっくり!!

子ども達は、一生懸命やってくれました。
また、先生方も熱心。日曜日なのに校長先生まで来てくださいました。
大満足な3時間でした。

研究室に戻ると吉田が「ミズノさんから引退記念のスパイクが届きました」
何と!吉田用のプレートをつけた黄金のスパイク。
すごい!!!!一生の宝物ですね。
吉田が使っているプレートは、たぶん20年くらい前のモノで、吉田用にずっと取ってあったのですが・・・・
その在庫もきれかかり・・・
吉田は、スパイク制作の鈴木さんにお願いして、ずっとこのプレートを使い続けていました。
たぶん・・・最後の1枚かも知れません。
どんなにプレートが進化しても、吉田は頑なに「今までのプレートで走ります」とワガママを言い続けました。
きっと、吉田の自分の走りへのこだわりだったのでしょう。
当時、担当だった等々力さんも、さぞ困ったことだと思います。
ただ、吉田が持っているプレートが、彼女を世界に連れて行ってくれたことは確かです。
本当に20年間、ありがとうございました。
9回も日本記録を作ることが出来たのは、ミズノというメーカーさんの大きな支えがあってのことです。
制作だけではなく、担当していただいた販促の皆さん本当にお世話になりました。


吉田は・・・・このスパイクで走ってみたい!と思っているはずです・・・・・きっと!
練習から帰ってきた、若手に「お前たちも、引退の時、こんなプレゼントをして貰えるような競技者になってみろ」
と、ハッパをかけました。
みんな、グッと引き締まったいい顔をして、家路につきました。
改めて、吉田真希子という競技者の素晴らしい足跡を見つめ直しました。


●2月23日(月)

10:00 附属中学校に。
1時間ほど打合せを。

11時過ぎにラジオ福島に。
明日からの3週分の収録。

お昼に大学に行き、19:30まで仕事。
吉田のスパイクを見た二瓶先生が、驚嘆の声を!!
学生達にも見せようと考えています。
ちょっと吉田の戦績を作ろうっと。


●2月24日(火)

10:00 打合せ

11:30 入試準備

午後〜夜、仕事三昧。
20時30分帰宅です。


●2月25日(水)

前期入試でした。


●2月26日(木)

10:00 会議がひとつ。

終わって、机に向かうも一向に仕事ははかどらず・・・・
とりあえず、来年度の川本ジュニア塾・キッズ塾の日程を確定。
2015年日程の空きが少なくなってきました。どうしよう!?
午前中は、日程調整でおしまい。
4時間リレーは各方面と未調整ですが・・・・何とか夏にやりたい!
8/1の線でいきたいと思います。これだと、高校生も新人戦を気にせずに参加できますからね。

13:30 佐藤先生と松田さん@県スポーツ課が来室。
次年度の「陸上王国福島パワーアップ事業」の事業計画を。
日本陸上競技選手権開催記念トップアスリート陸上教室の開催(7/26)も決まりました。

その後、机に向かうも・・・一向に神は降臨せず><
無駄に時間が過ぎていくばかり。
今日はダメですね(朝の占いは良かったのですが・・・・)。
雨も本降りになってきました。
帰るとしますか? 19:40

やり残しの仕事が・・・4件 ><


●2月27日(金)

自宅を7時に出て、大学に。
一昨日の入試の時もそうだったのですが、この時刻の道路状況は「混雑」。
普段は15〜20分ほどで、行ける道も30分以上はかかります。

大学で車を乗り換えて、小野町体育館に。
福島大学地域貢献事業「わくわくジュニアカレッジ・夢のキッズアスリートプロジェクト計画」です。
小野町立飯豊小学校の皆さんが対象でした。
開始前に「鈴木です」とちょっと太めのオッサンがあいさつに。
よ〜く見ると・・・・陸上部にいた鈴木務です。
みんなからは「むー」と呼ばれていました。
川本も「鈴木むー」と憶えています。
川本が30歳ちょっと前の学生です。
立派なオッサンになり、先生をしていました。ちょっと嬉しい!!

準備に1時間、イベントで2時間。
12時前に終了して、帰りました。

午後は、研究室に戻り、仕事。
でも・・・・一向にはかどらず><
途中で、窓の外を眺めると・・・・横殴りの雪!
OLチームは練習していたのですが、大変でした。

今日も神は降臨せず><


●2月28日(土)

午前中、練習。
午後、懸案事項に取りかかるも・・・はかどらず ><
今日も神は下りてきませんでした。
もう川本には降臨しないのか?

夕方、訃報が・・・・
豊田博隆先生が逝去。
まだ、65歳です。信じられません。
豊田先生は、2代前の強化部長。
ふくしま国体の時に一緒にやりました。
たつき旅館、あづまの合宿所・・・楽しかったですね。
ふくしま国体の陸上総合優勝は、豊田先生の頑張りのお陰です。

1996年10月から半年間スポニチの福島県内版に「川本和久のふくしま有情」というコラムを連載しました。
その時に豊田先生のことを書いていました。田博隆県強化部長;隠されたコーチングの極意

 全国的に大活躍している陸上福島の屋台骨を支えているのが豊田博隆強化部長(小高工業高校教諭)です。豊田先生とは、もう10年以上の付き合いになります。合宿ではいつも同部屋で寝食を共にします。季節によっては、先生と一緒に過ごす時間が家族より長いくらいです。
 10年前は、スマートな体形でしたが、今では元スプリンターの面影はすっかり消え、貫禄十分の風貌です。合宿の度にお腹の出具合を雉子波秀子に指摘されても、豪快に笑い飛ばしています。でもこの外見から受ける男気とは別に、包容力と几帳面さがうまく調和して、我々強化部スタッフを引っ張ってくれています。
 豊田先生、実はちょっと変わった経歴の持ち主です。福島県の高校教員となる前は、愛知県で警察官をやっていました。拳銃の名手だったと聞きます。ですから、陸上の練習でもここぞと的を絞る時は部類の指導力を発揮し、絶対に妥協せずに一直線にどんどん押し込んでいきます。これは我々が横から見ていても、実に迫力のある指導ぶりです。
 警察官時代の部署は、少年課。不正には厳しいものの、相手は少年。時には優しく見守ってあげることも大切です。この厳しさと優しさを使い分けさせたら、この人の右に出る者はいません。この手で選手のみならず、若手コーチもその気になって、いつの間にか頑張ってしまいます。
 趣味は、鮎釣り。それも、友釣りを大得意としています。これは、鮎の習性を熟知して釣る方法ですが、選手の指導にこれがピタリとはまって、選手個々の性格に合わせた指導は、心憎いくらいです。
長距離の下重先生(田村高教諭)といい、この魚釣りに隠された極意がコーチングの秘訣みたいです。 

1月24日の片平会長の叙勲祝賀会でご一緒しました。
それもお隣の席で。
その時「先生、11月にふくしま国体から20年の飲み会をやりますから、来てくださいね」
「絶対行くから、日程が決まったら教えて」と約束してたじゃないですか・・・・

本当に生徒さん想いの素晴らしい先生でした。
しかり方に愛がありました。
豊田先生じゃなかったら小高工業高校を陸上の名門校に育てられなかったと思います。
幾多の名選手が育ちました。

小高工高は、浜通りの高校です。相双地区の中学生の陸上熱は低いので、そんなに速い生徒がいません。
以前、7月の県選手権で、1年生のマイルリレーをやっていました。
小高工高は、決勝には残るのですが・・・・前と50m以上離れて負けていました。
これは毎年のことです。
ただ、少年A(3年生)の400mは、毎年ダントツで小高工高の誰かが優勝していました。
いつも豊田先生に1年生のマイルリレーを見ながら「ここからのスタートですか・・・・」と笑って話しかけていました。
決して速い新入生は入ってこない!
3年間、鍛えに鍛え上げて、最後は1位でゴールを駆け抜ける!
すごい先生ですよ。

訃報を聞いて・・・涙が止まりませんでした。
自宅での夕食は、久しぶりに豊田先生と一緒にいるような気持ちになり、思いで酒に浸りました。
ご冥福をお祈りいたします。合掌。