川本かんとく陸上日記 |
2001年10月の日記 |
●10月1日(月) 日本インカレが終了。結果は8勝7敗ってとこですかね。 波に乗りかけては、落ちて、またちょっと乗ったかと思ったら、また落ちて・・・・ 最後は、マイルリレーで逆転負け。 1570mまでトップだったのですが、国立競技場で勝つことの難しさをまた、また教えられました。 昨晩は、なかなか眠れませんでした。いつもは、「おやすみ」後、3秒で熟睡。 夢を見る間もなく、朝という感じですが、昨晩だけはだめでした。 雉子波のことが頭によぎって眠れませんでした。 雉子波が捻挫をしたのが、8月始め。日常生活に支障が出るくらいの重傷。 8月下旬の高知合宿でも一切トレーニングできずにジョッグが少し。 9月2週目からジョッグ開始。 スパイクを付けたのは、インカレ10日前。これとて驚異的なハイピッチでした。 流し、ビルドアップ、加速走と一気に行い、インカレの週の火曜日にスタブロ練習。 状態としては50%のでき。150mは春先の吉田や茂木のタイムにすら追いつきません。 普通だったら当然「棄権」ですが、「出場」の道を選びました。 理由は、いくつかあります。 川本の夢は、インカレでブロック種目制覇。雉子波は、私が行けば・・・・・と考えてくれました。 昨年の茂木の100mがそうだったように雉子波が走れば、廣田が楽になると二人は考えました。 廣田さえ波に乗れれば、このインカレはいける。 100m予選、雉子波は、楽に流して11秒8台。 心底、雉子波秀子は凄いと感じました。 リレーの予選は、1年生を使って雉子波温存と考えたのですが、意外に走れたことと廣田の予選と新人高橋(2走)の走りに少し不安を感じて雉子波を行かせました。 これは、彼女と話し合って「私が行くしかないでしょう」と言ってくれたので決めました。 本当に素晴らしい心の持ち主です。 ただ、この一本は、雉子波のスタミナと筋肉に確実なダメージを与えていました。 1時間後の100m準決勝。思いもよらないアクシデントが。 スタート数歩後、つぶれて、こけてしまいます。 彼女のレースは100レース以上見ていますが、こんなになったのは、初めてです。 そのまま立て直しましたが、まさかの組5着。 プラスでかろうじて、決勝へ。 リレーの予選さえ、走らせなければ、1本1本完全に100mのレースを作って、決勝では11秒7台くらいでは走れたと思います。 レースを失敗したことが、彼女の勢いをなくしてしまわないのか?いっそ棄権してしまおうか。 予選の感じから決勝では、きちんと走れるはず。 その気持ちが、自分で整理できないまま、翌朝を迎えてしまいました。 翌日、100m決勝。 雉子波は雉子波の100mができませんでした。 彼女に申し訳ない気持ちで一杯です。 コーチとして、やはり棄権させるべきでした。 私の心のどこかに大学生を甘く考えていた部分があったと思います。 優勝した福岡大の瀬戸口さんなどは、必死にインカレチャンピオンを目指して、走っていました。 本当に失礼な試合をしたと反省します。 雉子波に対しても済まない気持ちで一杯です。 この1年の心の緩みが生んだ結果だと思います。 「慢心」があったのでしょう。 もっと「細心」でなくてはならなかったのです。 「勝負事は、手で水をすくってもこぼれないくらいに細心に」と常々言っているのに・・・・・。 「勝つ技術・体力」というのは、そこそこに作れていくと思います。 「勝つ心」は、なかなか作れません。 これが一番難しいのだと思います。 4年廣田有希子は、結局勝てませんでした。勝つ力は充分あったと信じています。 でも、国立で勝負する心を作ることが出来ませんでした。これも反省です。 結局、川本に学生の心を育てる力量がまだまだついていないと言うことです。 1年生が勝てそうで、勝てなかったのはよく分かります。 400m2位の木田真有、7位の坂水千恵、400mH5位の久保倉里美いずれも1年生ですが、予選の走りからすると優勝のチャンスは、あったはずです。 でも、ものにすることが出来ませんでした。 ただ、彼女たちには心を作る時間が残されています。 コーチに来てくれた穐本先生が、3人娘を見て、彼女たちには、余裕があるって言っていました。 あと一皮むければ、大化けします。 今、午後8時過ぎですが、坂水が練習後に研究室に来て、ビデオをダビングして帰りました。 人間、失敗することもあります。 私の手帳には、「困難に立ち向かう勇気を持ち、失敗を貴重な経験に変えること」と書いています。 そう、失敗は成功のもとです。 本当に、本当にここには、書ききれないくらい多くのことを国立競技場から教えていただきました。 また、勉強になったインカレでした。 国立競技場からは一生勉強していくんでしょうね。 4年間まじめに練習を続けてきた今野明子が7種競技で5位に入賞しました。 努力すれば、報われる。彼女の800mのフィニッシュを見た後、こっそり泣いてしまいました。 これだから、コーチは辞められませんね。
●10月2日(火) 後期の授業が始まりました。 今日は共通教育のスポーツ実習「ゴルフ」、健康科学実習「ゴルフ」でした。 スポーツ実習「ゴルフ」は、上級生の選択授業。 一昨年からゴルフ・テニス・ゴルフと私の授業を受けに来てくれる経済学部の学生がいます。 ちょとマニアックですが良い奴です。 川本の授業スタイルが好きだから受講していると嬉しいことを言ってくれますが、心底スポーツが好きなようです。 決して上手ではありませんが、スポーツを楽しむというか、技術を身につけることを楽しんでいるようです。 つまり、上手になる楽しみを追い求めています。 スポーツを行う上で、一番大切なことなのでしょう。 土・日に練習に来る小学生達もまさにこんな感じで上手になる楽しみを味わえるといいなと思います。 当然、陸上競技部の学生さん達も。 あすは、「運動と身体発達」の講義です。 昨年度からカリキュラム改革により、新しく開設された授業です。 この分野はちょっと苦手。 幼児からの這う、立つ、歩く、走るなどの運動発達の例は、息子と娘しかなかったのが昨年の授業でした。 今日は、練習後、資料作りと予習をして帰ります。
●10月4日(木) 1コマ目から授業、といっても大学院の授業でした。受講生は、2名。 結構これが大変なの。今年はスポーツトレーニング理論の解説をしています。 3コマ目に「体力トレーニング」の授業が入っているとばかり思っていたら、1コマ終了後に2年生が、次の授業は何処でやるのですか? 「えっ?変更になったの?」ということで、急遽授業へ。体力トレーニングでは、生理学の勉強が必要なことを力説してきました。 学生さんは、何が大切か分からないので(どの授業でも大切ですが・・・・)もう一度勉強してもらうことにしました。 3コマ目は、雉子波の修論実験の準備をして、その後附属中学校へ教育実習の研究授業参観。 走高跳の授業でした。実習生の授業でしたが、信じられないことに師範がない。若いのに何をやっているんだ、と、ちょっとカミナリを。 今日は忙しい日で、研究授業の講話が終わったらすぐに大学に戻り、練習開始前の話を。 その後、大学のすぐ近くのNECワイヤレスネットワークスで講演。 「自分が変わる 記録が伸びる」のタイトルで選手育成のポイントなどを・・・・・・ なんと同じ時間に白石先生が、松下電器で講演。 講演終了後は、いつも学生がお世話になっている中野先生(保原の中野病院長)を交えて、夕食をとりました。 当然、飲みもあり。
●10月5日(金) 午前中は、雉子波の実験。被験者は池田久美子でした。 ちょっと豪華な実験(顔ぶれだけは・・・・・)。 午後からあづま体育館で国体の結団式。終了後、陸上競技場で、雉子波の練習。 7年ほど前、ふくしま国体を前にして、雉子波とよく2人でグランドに来ては、練習していたのを久々に思い出しました。 「長かったなあ」というのが実感です。 こつこつと積み上げてきたらからこそ、今の雉子波秀子がいるんですね。
●10月6日(土) 午前中、練習。飯坂リハビリ病院の吉田仁郎先生がグランドを訪問してくれました。 学生達は、医大にスポーツ外来で患者として行くのですが、こうして時々先生は、グランドに様子を見に来ていくれます。 そこで学生達の実際の動きを見ながら今後のリハビリのアドバイスなどをしていただいています。 本当に助かります。感謝。 午後は、雉子波の実験。研究室の先輩、吉田真希子が手伝ってくれました。
●10月7日(日) 午前中、練習。国体出場者は、最後のポイント練習。日本選手権リレーのマイルチームは、追い込み。最近は、木田真有が絶好調。 いま400mを走ると日本で3番に入れると思います。 昼過ぎから国体リレー合宿の練習。福島大学では、松本真理子と中学生の芳賀が、スタートからのレース構成を中心に練習。 これから、雉子波をピックアップして、宮城スタジアムまで合宿に行って来ます。 午後の練習を見ていた吉田真希子が、「時々日記といいながら結構書いてますね、先生。」の言葉を残して、恋人?と帰っていきました。 きっとうまいラーメンを食べにいくのだと思います。川本の昼食は、松本が買ってきてくれた今が旬の「牛丼弁当」。コンビニを2軒はしごして買ってきたものです。
●10月8日(月) リレー合宿に「宮城スタジアム」に行ってきました。 雉子波も走れるようになりました。10+60mの折り返し走4本をきちんとこなせました。 仙台(と言っても利府町ですが)は、海沿いなので、福島と比べて、気温が低い。20度を下回っていました。 週末からの国体は、寒さ対策が必要です。 また、サブも山を拓いたところなので、風が抜けていきます。寒い。 スタジアムは、昨年の日本選手権で一度使ったことがあるので、まあ大丈夫でしょう。 昨年6月、スタジアムの中は、風が重いって感じがしましたが、秋の風はどうでしょう。 風って結構気になりますよね。 例年の国体のようにスカッと晴れることを期待しましょう。 くれぐれも防寒用意だけは怠りなく。 合宿から帰って、娘のピアノ教室へ。 奥さんは、コンサート。娘のピアノ教室、初めていきました。 習い初めは、ちょっと教えられたけど、今じゃ手も足も出ません。 (何年前の話?って女房から叱られそうです) 娘の上達ににっこりの親ばかでした。 つくづく繰り返すことの大切さを痛感。
●10月9日(火) ちょっとヒマだったので、久々に「写真館・夏合宿編」を作りました。 結構大変でした。やめとけばよかったと反省。 11月2日(金)に日本記録樹立の祝賀会を予定しています。会場だけは予約していたのですが、段取りをすっかり忘れて・・・・ 雉子波のマッサージをしながら招待状発送の段取りをしました。 といっても挨拶文も何もできていません。 発送は、OB会や陸協関係者。明日からちょっと大変です。 福島県小学生クロスカントリーリレー大会の申し込みが今日から始まりました。 が、今日の申し込みは1件。大丈夫かな。 大会企画、運営全て川本研究室で行います。雉子波・茂木・吉田がフル活動予定。
●10月10日(水) 一日大雨でした。祝賀会の発送作業は、雉子波・吉田・茂木たちの指導の下、学生さんたちに手伝ってもらって一日で終了しました。こうやって、学生さんたちは仕事を覚えていくのですが、雉子波が言うには、仕事が粗い。まだまだ、与えられた仕事としてしかとらえられていないので、責任を持ってきちんと行うというところまでは行かないようです。
●10月12日(金) 今日は、国体の練習日です。雉子波は、やっと走れるようになりました。練習が終わってから雉子波、吉田と3人で宝石店へ(ちょっと言い回しが古いか)、11月にやる日本記録を祝う会のプレゼント・指輪のサイズあわせに行きました。雉子波が、ラストランのピアスを買いたいというので、プレゼントしました。吉田もと思い、帰りに買ったたこ焼き8個のうち3個を吉田にあげました。人生こんなものでしょう。先輩はえらい、すごいと感じた一日でした。 練習に戻ります。久保倉・吉田・茂木の400H組は、大会1日目なので、レース2日前の今日は、休みですが、インカレで久保倉のレースパターンが悪かったので、久保倉だけ今日は練習。スタートをちょっと変えたのですが、5台目、6台目がうまくいきません。実際のレースでは、サンチェスのように5台目、6台目でちょっと休んでレースを組み立てることを指示。結果が楽しみです。 吉田は、相変わらず強気の姿勢を崩さず、日本新狙い。決勝が楽しみです。 高橋もそこそこ走れたので、ちょっと安心。 でも国体っていいですよね。色んな人とあえて。 明日は、佐賀県のテントに挨拶に行こうと思います。 明日の起床は午前5時。おやすみなさい。午後11時
●10月11日(木) 午後からやっと晴れ間が見えました。明日から国体に行くので、1週間分の仕事を先取りして済ませました。結構これが大変。でも先にやるからいいんですよね。帰ってからとか、後回しにすると絶対に仕事ってできません。そういえば、実家の座敷には、「先憂後楽」という書が飾ってありました。父の生き方そのものですが、今になって、やっと分かるような気がします。やっぱり年長者(父も含めて)の言葉には、耳を傾けておくものですね。 国体に向けて、うちのチームはというと・・・・・雉子波がやっと走れるようになりました。日本記録保持者らしい走りには、ちょっと遠いとは思いますが、彼女の現役最後の100mは、それなりにみられるレースでしょう。期待しましょう。ただ、タイムは出なくても彼女の生き様は、100mというレースに表れると思います。13年間一緒に走り続けたコーチとして、最後まできちんといつものように見守りたいですね。 吉田は、結構行く気でいます。風次第でしょう。 茂木は、400Hで59秒を狙って行かせませ。今年はいけそうです。 池田は、やっと本調子。セカンドの6m60台を狙いたいものです。 久保倉は、予選がうまく走れれば・・・・・早起きの効果が表れるか? 高橋は、自己新ねらい。大人とのレースの経験が重要です。3年後は日本記録を。 まあ、楽しみな1週間になるといいですね。今回は、PCを持っていく予定なので、日記だけは続けます。 と言ってもモバイラーじゃないので、接続等に自信なし。なにせ、東アジアのときは、原DさんのPCを繋ぐのに悪戦苦闘。大阪のホテルからなかなかつながらない。「原Dさん、設定が大丈夫か確認するために熊谷につないでみたらどうですか?」「そうだな、この設定は熊谷で使っているものだから、とりあえず試してみるか」ということで、熊谷へアクセス。PCのスピーカーを通して電話の呼び出し音の後に聞こえたのは、「もし、もし・・・・」という女性の声。アクセスポイントじゃないんですか?原Dさん?というくらいモバイル音痴の2人です。 というわけで、昨日勤務が休みで研究室に来ていた昨年までの大学院生の木次谷君が、PCを設定してくれました。が、果たして携帯のメールすらできない(やろうとしない)川本(このへんがオヤジ)は、使えるのか?全ては、明日のアップで・・・・・ 日記がなかったら諦めて下さい。とりあえず努力はしてみます。
●10月13日(土) 松島に泊まっています。「大観荘」というリゾートホテルです。すごく立派な宿泊施設で、朝食時には春季サーキットのような錯覚に陥りました。今までの国体でイチバンの宿泊です。昨年の富山では、「少年自然の家」でしたので、雲泥の差です。昨年「少年自然の家でも国体料金をとるんですか?」と聞いたところ「貸し布団代もふくまれます」と訳のわからない言い訳をされました。この宿泊問題は、いつもわれわれ監督の頭を悩ませます。なにせ1週間も生活するのですから宿泊がどうかは、競技成績を左右するくらい大きな問題です。 宿泊担当の自治体の方は大変でしょうが、こちらも勝負がかかっています。宿泊場所を変更してくれくらいは平気で言います。まあ、これがちょっとした楽しみといえなくはないのですが(そんなことはないか)。普通の大会と違って自分で宿泊を選べないというのは、非常に難しいですね。 今日は、国体の開会式でした。明日の競技組みは、開会式には参加せずに練習です。毎度のことですが、開会式当日の練習会場には、苦労させられます。メイン会場は当然使用できませんし、サブも準備のため午前9時ちょっと過ぎまでしか使えません。最近の国体は、メイン会場を郊外に作っているので、昔の古い競技場が街中に残っています。ただ、宮城は、古い県営の競技場はサッカーでだめということだったので、岩沼のグランドまで行きました。高速(1000円ちょっと)を使って30分以上かかります。福島の隣なので、車はたくさんあって移動には困らなかったのですが、他県はなかなか難しかったようで、いつもの非常な混雑を見せる練習会場が、がらがらでした。おかげでいい練習ができました。 吉田は、相変わらずいい動きを見せています。茂木(秋田)は、400Hです。15歩でいく、4・5台までの走りは、抜群。吉田の練習もかすみますが、勝負は、400m。とりあえず茂木と久保倉は、59秒台を目指します。 帰ってから雉子波、吉田と一緒にテレビで開会式参加。福島県の入場では、知り合いを見つけては、大歓声。本当に福島県人になったなあと実感しました。入場行進に福島大の小川先生発見。といってもバレーの選手なので、背が高くて目だっていましたが・・・・・・研究室の佐藤徹を発見(バレー)、もう大興奮。先生と学生が同じチームメイトで参加するなんてちょっと変ですが、福島大の学生、先生が頑張るのはいいことです。早速携帯に電話を。後から「開会式の途中で電話なんかしないでくださいよう」と小川先生。互いに頑張りましょう。
●10月14日(日) 国体1日目です。
●10月15日(月) 雉子波のレースが終わりました。ごくろうさん。コーチとしても結構覚悟をして、今日は予選・準決といつでもタオルを投げるつもりで臨みました。捻挫で動けなくて、やっと動けたのがインカレ2週間前、スパイクをつけたのが、インカレ1週前。インカレで大腿を傷め、1週間何もできずに休養。このレース1週間前にやっと練習再開。これで、走れというコーチもコーチです。レース勘もなく、ラストランを迎えます。インカレ準決勝のスタートでつまずいたのが尾を引いて、スタートが出れません。スタート技術は日本一と自負している師弟です。でもだめです。予選のテーマはスタートからの一気の加速。スタートに不安がある雉子波は、何度も何度もブロックの位置を修正します。初めて見ました。本当に不安だったのですね。予選のスタートはうまくいきました。ほっと一安心。準決勝は、70mまでの加速。これをテーマにアップから取り組みました。心配は、傷めた脚がもつか?準決勝を無難に切り抜け、自信がちょっと戻ったみたいです。「自信をもって走れ」なんていうのは、ただの気休めですよね。自信というのは行動が伴って、持てるもの。 決勝は、いい走りでした。大会前には、3位に入るとは思ってもいませんでした。さすが雉子波秀子。予選・準決・決勝とこれまで13年間彼女とやってきたことの総復習をしたようでした。勉強になりました。 吉田の400Hは、予定通りのレース展開で、第一人者を印象付けました。1年の久保倉は、力があるのに欲がなくて、インカレのタイトルを逃しています。今回は3位狙い。「絶対勝ちたいを表に出せ」をテーマに取り組ませました。今回は、強気のレースを展開。インカレでは、弱気になって刻んでしまった5台目を久保倉は、攻めて17歩でカバー。自分の弱さを乗り越えた記念すべきレースでした。これから大きく伸びると思います。 レースを終えてサブに帰る時、根本先生が、両手にゴミ袋をさげて、ごみ捨てをしていました。弁当の買出しやこまごました作業までこなしている根本先生。マネージャーとはいえ朝から晩まで、大変だと思います。見えないところで見えないことをしている人がいることも忘れてはいけないと再認識しました。感謝。
●10月16日(火) ピンチ。リレーが終了してホテルに戻ったら風邪気味だった吉田が涙目。体温計(38度を越えてしまいました)を見た瞬間に「ねつだ〜」と言って泣いたそうです(雉子波談)。そこから、新田先生の車で病院に連れていったのが、午後8時過ぎでした(川本は飲酒のため・・・・だめ)。 病院にて・・・・・ ひととおりの診察が終わって、先生が薬を出そうとして下さったので、「アンチドーピングガイドブック2001年版」をとりだして、使える薬とだめな薬を説明。 医師「こうれじゃあ総合感冒薬は使えないね。漢方はどう」 吉田「麻黄(エフェドリン)なんかはだめですが・・・」 医師「葛根湯は?」 おいおい葛根湯は、麻黄が含まれている代表選手じゃないのか・・・・・とこのあたりから雲行きが怪しくなります。 医師「じゃあボルタレンかポンタールを出しましょう」 川本「先生、点滴を打っていただけませんか」 医師「水は、飲めているから大丈夫。点滴は水だから必要ありません」 川本「ビタミンとか、アリナミンとか、入れていただけませんか」 医師「昨日も、今日もきちんと夕食が摂れているからビタミンは大丈夫。ビタミンの点滴を打っても、ただの自己満足ですよ」 そりゃあないでしょう。自己満足なんてことは。そんなん(自己満足の点滴)に我々は医療費を支払っているのですか? 川本「そこをなんとか」とこみ上げてくる怒りをぐっと抑えて、下手に出てやっと点滴がGO。 まあ川本の粘り勝ちですか。 吉田の快復を待つだけです。
●10月17日(水) 吉田の800mが終了しました。2分06秒82自己新ながら2位。吉田は結構狙っていたんですよ!日本記録を・・・・・前橋の世界室内の時、吉田は1週間目に風邪で発熱して、2分12秒もかかってしまったという苦い経験があります。ちょっと嫌な記憶がよみがえりました。 朝の段階で平熱に戻っていたので、レースはついていけるところまでついていって、最後の最後の最後で勝負、という指示を出しました。これもついていけたらですが・・・・レースは、グローバリーの藤原さんと西村さん(東学大)が引っ張っていきます。吉田の前は地元宮城の岡本さん。もと日本記録保持者ではありますが、まだまだ本調子ではなく、途中からズルズルと後退することが予想されます。そうなると吉田は前と離される。ピンチ。200mを29秒通過。それからゴールまで32秒/200mのペースでいきました。元気な状態の吉田なら500mから藤原さんについていけたと思いますが、病み上がりの吉田には、その力はありませんでした。イーブンを維持することがやっと。本当に残念でした。 ここまでしっかり練習してきたのに最後に風邪を引いてしまって・・・・・・全てが水の泡です。 生活には人一倍というより十倍気を使っている吉田ですが(そんなにというくらい)、今回だけは、治りかけの風邪をチームメイトからうつされてしまい、ダウン。試合の時は、体力だけでなく、神経も使うから、ウイルスがあると簡単に風邪を引いてしまうんですね。チームメイトが風邪を引いていたのが分かったのが、1泊後、部屋を代えたのですが、後の祭りでした。チームメイト本人は「大丈夫です」と言っていたのですが、風邪の治りかけが他人にうつすときです。みなさんも他人にうつさないように自覚を持ちましょう。また、本人たちもめずらしくちょっと不注意でしたね。 雉子波も風邪を引き、全然だめでした。残念。
●10月19日(金) 国体から帰って、泥のように寝てました。朝は、ちょっと起きられませんでした。なんと目が覚めたら9時。今日は授業がなかったからいいようなものの・・・・・世間のサラリーマンのみなさんごめんなさい。 大学の先生って出勤時間は結構自由みたいですよ。川本は、8時半くらいには研究室にいるようにしていますが・・・・・(NHKの朝の連ドラをネタに日記を書いている寺田君、ほとんどのオヤジたちはそのネタにはついていけないことを理解してくれ。) 研修中の雉子波もそのくらいの時間には、研究室に出勤?するように言っています。彼女の身分は、教員なので勤務時間はしっかりさせているつもりです。ただ、退勤時間は、趣味の陸上競技をやっているので、非常に遅くなります。結婚前などは、私の研究?の手伝いで、いつも9時過ぎに研究室を出ていました。最近は、ちょっと早く帰すようにしています。ただ、研修中の教員でもちゃんと勤務しているのかと思うような先生もいます。彼たちには、給料をいただきながら勉強すると言うことはどういうことなのか真剣に考えて欲しいものです。 午後から陸連の会議で東京へ。帰りは、最終の1本前。ちょっとくたびれました。
●10月20日土曜 午前中練習。木田が絶好調です。350mのトライアルは、吉田のエドモントンでの直前トライアルよりもいいタイムの46秒5。いまなら53秒台は確実ですね。ただ、残念なことにレースがしばらくありません。 午後一で、あづまへ。11月3日にある「福島県小学生クロスカントリーリレー大会」のコースの下見です。大まかなコースを決めて、研究室へ。雉子波、吉田、木次谷、茂木が手伝ってくれて、夕方まで、大会のプロ作りなどの準備。土曜の午後、デートもあるのに、本当に助かります。こんなに献身的にやってくれると、またなにか助けてやろうとか、練習を一生懸命みて上げよとか思います。 人生give and takeですね。 「彼女たちは、コーチ料ですよ」と笑って言っていますが・・・・・気持ちが、ありがたい。感謝。
●10月23日(月) パソコンを覗くといつものようにメールが・・・・・・ なんと17年前に勤務していた小学校の教え子から。当時は、小学校3年生だった子どもが、今は27歳。 月日の流れの速さに驚きました。学校の検索をしていたら川本の名前を見つけたとか、IT時代ならではの話ですね。便利になるっていいことですね。 一気に17年前にタイムスリップしました。毎日が本当に楽しかった。いまだにず〜っと小学校の先生をやりたいって思っているくらいですから、本当に充実していた1年だったのでしょう。
彼は、クラスメイトの近況も報告してくれていました。 【文集に「10月7日、つかはらくんとみうらくんが先生におこられて、三組にてんこうした」ちなみに僕らは4組です。むちゃくちゃしてましたね。】
4組から3組に生徒を転校?させるなんてなんて無茶をしていたのでしょう。校長先生こんな教師で大丈夫だったのでしょうか。 小学校の先生をしたのは、大学院を出て2年目。自分が小学校6年生の担任が大卒2年目の先生で、素晴らしい方で、本当に印象に残っています(とびっきり一番の恩師です)。あんな先生になれたらいいなあって思いながら、毎日子どもたちと格闘していたのを思い出しました。 歴史は繰り返す。 あんなコーチになりたいなあ、と学生が思えるようなコーチになりたいな。
●10月24日(火) 日本選手権リレーまであと少し。今日は、大会と日本記録の祝賀会の段取りに追われました。 日本記録樹立の祝賀会を11月2日(金)午後6時から予定しています。この作業がなかなか大変ですが、嬉しい悲鳴です。出欠のはがきに添えられた一言、一言が励みになります。やはり出欠のはがきひとつにも人柄が表れるものです。思いやりのあるオヤジに成長していきたいと、改めて、一枚一枚のはがきに教えられました。 日本記録樹立は、素晴らしいと思います。彼女たちの頑張りには、頭が下がります。私が頭で考えていることをいとも簡単?に具現化していくれます。いい選手たちに恵まれました。ただ、日本記録は樹立できなくても自己記録突破を目指して、練習に励んでいる部員が大勢います。いま午後8時をだいぶ過ぎていますが、トレーニング室の鍵は、研究室に返っていません。こうやってコツコツと練習した成果は、きっと形となって表れてくるから頑張れ。こういう地道な努力は大切です。次に考え方を変えることが出来たら、あっという間に変わることが出来ます。ただ、この考え方がなかなか変わらない。ここいら辺が難しいところです。練習前に多くのヒントを伝えているのですが、ピンとこない。 「見れど、見れず。聞けど、聞こえず。」学生諸君はじっくり考えて欲しいものです。 ラストラン間近の雉子波が、井上のスタートを見ていました。また、シーズンオフへの移行期で、ハードな練習のない吉田が、400パートの学生にアドバイスをしていました。彼女たちは、ここでも「当然ですよ」と言ってくれます。本当にありがたいことです。こんな選手たちなので、ついつい練習を一生懸命みたくなるんですよね。
●10月25日(水) クロカンリレー(11/3)のプロ作りも終了。食事・カラオケのコースで疲れを癒す。はずが・・・・カラオケの採点で点が伸びなくて、頑張ってしまったバカなオヤジでした。 昼間は、教授会を途中から抜けて、フレンドシップ実習(オープンキャンパスフェスティバル11/4)の配布チラシの印刷。大学近くの市内、郡内の小・中学校・幼稚園148校分、4500枚を印刷。結構大変でした。久々に地道な作業をやりました。 あとは、日本記録を祝う会(11/2)の段取りだけ。来週末は、行事・行事・行事です。
●10月26日(木) フレンドシップ実習(オープンキャンパスフェスティバル11/4)のチラシを市役所の学校ボックスに投函に(with 雉子波・茂木)。お昼をはさんで実技の授業がったので、教育委員会にジャージで行きました。担当の事務の方がちょっと驚いていました。市役所の食堂でミニカレーとラーメンセットを雉子波からおごってもらいました。 午後は、医大で非常勤です。医大生が川本のインタビュー番組を観たとかで、「先生、見直しちゃった。JAPANのジャージって本物だったんだあ」と着ていたジャージを指さして・・・・・未来の女医さん頼みますよ。女子はサッカーで汗を流してもらいました。体育館では男子がバスケット。これが結構うまい。放っておいてもゲームの段取りから、ゲームの審判まで自分たちでやって、エキサイティングなゲーム展開。ゲームとゲームの合間に追試の勉強をするのは、さすが医大生。追試を受けるのは、ちょっといただけないが、内容の難しさに納得。福島県立医大の学生さんは、しっかり勉強しています。福島県のみなさん、安心して病院にかかって下さい。 明日から横浜に出発なので、仕事を片づけに7時頃に研究室に上がりました。11/24・25の講習会の段取りと文書作成。雉子波・吉田・茂木が練習後に手伝ってくれるので、非常に速く片づきます。彼女たちは、「コーチ料ですよ」と簡単に言ってくれますが、自分の時間を他人のために使うということはなかなかできないもの。ましてや練習が終わってそれからですから。感謝。 8時30分に器具庫の鍵が返ってきました。学生の練習もラストスパート。練習はうそをつかない。
●10月27日(金) 日本選手権リレーに行きます。ただ、金曜日は、試合が多いので、学生は2コマまで授業に出席させました。「あづま」で軽いバトン練習をすませて、横浜へ。4×100R予選は、雉子波のラストラン。無理は、させられないし、まあ運が良ければ、決勝へ行ければいいかな?っという感じなので、この程度の準備です。狙って行くならやっぱり朝から出発です。 結構、田舎もんが多いので、渋滞を覚悟で、都心へ。向島あたりから小さく見える「東京タワー」に大歓声。高速道路からパソコン端末がいっぱい並ぶオフィスの中が見えました。学生の一人が「ドラマみたいだよね」かわいいじゃありませんか。銀座からレインボーブリッジを渡り、お台場、横浜ベイブリッジ、みなとみらいと観光ツアーは終了。私は、いいことをした?という満足感で一杯でした。
●10月27日(土) 雉子波秀子がとうとうスパイクを脱ぎました。会場からは、彼女の引退を惜しむ拍手が・・・・・ 実は、吉田真希子と茂木智子が花束を持って横浜から駆けつけてくれました。陸連にお願いして、ゴール後に引退セレモニー。スタート前もアナウンスの方が通告していくれました。感謝。 大勢の観衆の中で、引退セレモニーをやっていただけるというのは、競技者として最高の幸せだと思います。 本当にいい幕引きが出来ました。本当にあっという間の13年間でした。特に彼女が卒業してからの9年間は、あっという間に過ぎ去ったように感じます。雉子波のトレーニングを、試合をとおして、多くのことを学びました。今日の川本は、雉子波秀子の存在なくては、語れません。本当にありがとう。 彼女の今後の人生も、幸せに満ちあふれたものになるよう、こころからお祈りしています。 で、日本選手権リレーはというと・・・・予選でラストランの雉子波に「最後の仕事をしてね」と決勝進出への「力走」をお願いする川本。「まかせてください。切れても(肉離れしても)いきますから」と頼もしいアンカーのひとこと。「最後くらいは、キネシオとか、はらないで走りたかったですね」とポツリ。 予選は、3組2着プラス2。3走久保倉はバトンを持ち替える。「おい、おい、マイルリレーじゃないぞ」4・5位でバトンはアンカー雉子波へ。雉子波は貫禄の走りの2着でフィニッシュ。ありがとう。 まあ、坂水・高橋・久保倉・木田でいく決勝は、3位ねらいかな?なにせ400選手が3人いますから。 決勝は夕方6時35分。サブはライトなし。バトン練習どころか暗くて走れない。優勝候補が1・2走でバトンミス。2走高橋が快走。「いける」と思った瞬間。3走久保倉が早出。ピンチ。5m差で4走木田が3位で行く。ラスト40からすごいぞ。いったあ〜。前の二人をかわして1着フィニッシュ。誰もが予想しなかった優勝。笑いが止まりませんでした。拾った宝くじが20万円くらい当たったみたいな結果でした。 木田の走りにメールが届いています「400mリレーのアンカーの木田さんの追い込みはすごかったです。あれだけ後半のびるのは、軸と地面のとらえの良さなのでしょうか。もちろんダッシュゾーンでの加速もあると思いますが。」 棚からぼた餅のような優勝は、雉子波のいままでの頑張りに対して神様がプレゼントしてくれたのだと思います。予選だけじゃなく決勝まで、ありがとう。 これで完全にあきらめていた2年連続2種目リレー制覇という前人未踏の大記録にあと一歩と迫りました。 ただ、気楽に走って結果的に優勝が手に入ったのとは違い、狙って勝ちに行くというのは、難しいものです。無欲の勝利とよくいいますが、400Rはまさしくそれ。ただ、マイルは、インカレで負けてからずっと優勝を目指してトレーニングを積んできました。プレッシャーの中でやる明日の試合運びが、1年生主体のチームをきっと大きくしてくると思います。最高の舞台、最高のプレッシャーが選手をタフにしてくれます。 明日は、マイルの準決勝から。10時スタートです。早くホテルに帰って、子どもたちを寝かせなくっちゃ。 一体どんなタイムテーブルなんでしょうね。
●10月28日(日) 3分41秒84。大学記録。やればできるもんだ。女子4×400mRで優勝。ラップは、久保倉56秒23,原田56秒50,坂水55秒07,木田54秒04。本当によく走った。心をこめて練習すれば、結果は出る。特に1年生は、吉田と同じ練習から逃げなかった。練習から逃げたら絶対に伸びない。彼女たちは、屈託のない笑顔で、ハードな練習をこなせた。こころの奥に強いものを持っています。そこでつかめた勝利。今回のレースで、ひとまわりも、ふたまわりも成長してくれたと思います。 狙って勝つことの難しさを実感しながら試合をこなせたことは、来年の彼女たちにきっとプラスになるはず。期待しましょう。 ところで、寺田君のHPにリレーのラップが載っていましたが、福島大のラップはありませんでした。ということは、ライター寺田の中では、福島大は本命ではなかったということ?今回のマイルは、自信があったんだけどなあ。木田が好調だって書いていたでしょう。昨日も走れていたじゃないですか。 2年連続のダブル優勝は、まさしく偉業です。史上初ですからね。ちょっと嬉しい川本でした。 昨日書けなかったけど、教え子の富山高明(H10年卒・吉田真希子の同級生)の生徒さんがD走高跳で優勝。本当におめでとう。教え子の全国制覇は、菊田明博(99日清カップ走幅跳)に次いで2人目です。ほんとうに嬉しいものです。 沖縄アンテロープの安慶名由衣(あげなゆい)さんが、D100Hで3位。おめでとう。昨年の日清カップリレー優勝メンバーです。沖縄だけに晩秋の雨のレースは、寒かったはず。2月くらいの感じだったと思います。その中で、よく表彰台に上がれたなあと感心。これからも頑張ってね。幸良(こうら)監督おめでとうございました。おみやげの「紅イモタルト」おいしかったです。沖縄に合宿に行ったらまた飲みましょうね。 今回も高橋美穂さんにトレーナーをお願いしました。いつも丁寧に選手たちの体を診ていただいてありがとうございます。 木次谷がTCの渡辺彩香(D走幅跳)のコーチにつきました。結果は、ファールもあって選手コーチとも満足のいくものではありませんでした。帰りの車の中で、木次谷は、コーチングについて色々質問していきました。そういえば、数年前の沖縄合宿で永冨先生(保原高校)からも色々質問されました。私も若いときは、多くの方によく質問しました。こういう姿勢が次への一歩を生むんですね。「負けに理由あり」負けて覚える陸上競技です。失敗を貴重な経験に変えることが、一番大切です。頑張れ、木次谷コーチ。
●10月30日(火) 授業の合間に雉子波の修論の予備実験。朝から、実験機材の調整。機械だからこちらの気持ちを察してくれない。ちゃんとやらないとちゃんとしない。困ったものです。さんざんやったお昼頃にやっと相手(機械)と気持ちが通じ合ってなんとか実験にこぎ着けました。結果はお楽しみ。 研究室が暑いなあ、なんて思っていたら何と暖房の試運転が始まっていました。もうそんな季節なんですね。暖気がうまく部屋に回るようにあわてて模様替え。1時間ほどかかってしまいました。「日本記録を祝う会・2日」「クロカンリレーとTCいも煮会・3日」「オープンキャンパスフェスティバル・4日」と段取りで、てんやわんやなのにちょっと無駄な時間でしたが、おかげで部屋はちょっとすっきりしたかな。
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